ジュンと日和が付き合っています(CPなし)
「茨、きれい」
「そうでありますな」
風が冷たい。凩こがらしの吹く公園で閣下はしゃがんで拾い物をしている。天下の乱凪砂がなにをしているかというと、どんぐりひろい。幼児とおなじである。そんな無価値なものを拾い集めてどうするのか何もわからないけれど、少し待ってねといわれてしまったので立ち止まって無為を眺めている。
風邪を召されてはいけないな、とか、指先の保湿をしないと、とか、後ろ姿まで俺の最終兵器、だとか。ぼんやりしていると気がつけば閣下のことしか考えていなかった。
「閣下、レッスンに遅れてしまいますよ」
「うん、わかった。いこう」
閣下はどんぐりをポケットにしまって、振り返ってにこりとわらった。宝石でも見つけたように微笑むので、ああこれを宣材写真にしてもいいな、と計算してしまう。
「どんぐりは虫が湧くのでビルに入る前に捨ててくださいね」
「……虫が湧くの、いやなんだ、茨」
「好き好む人種はいないと思いますが」
「……わかった」
残念そうな顔をさせたくはなかった。少し胸がチクリとする。まあ俺が片付ければいいだけの話だけれど、そう云わないと無限にどんぐりを持ち込みそうで困る。無用のものを増やされてもスペースは有限だし。
「茨は秋が好き?」
「は? いえ特には」
「……やっぱりね、好きなものは増えた方がいいと思うんだ」
「何の話でありますか?」
「ふふ、……いこう」
閣下は意味深に微笑んで変わらず歩いた。頭を撫でられて、それが機嫌のよいことを示していて、まあそれならいいかな、と閣下の歩みにあわせて公園を抜ける。落ち葉が風に吹かれて流れていった。
***
コズプロのフロアの給湯室に閣下が入っていくのを見た。飲み物なら共有スペースで作れるのになんだろう、と思いながら副所長室へ入る。火傷などをしてはいけないから覗きに行った方がいいだろうか。そう思っていたら閣下がやってきた。
「茨、いらない箱ある?」
「箱でありますか? まあ探せば」
閣下のおやつ箱から空になったチョコレートの箱を取り出す。
「どうぞ」
「ありがとう」
閣下はそれだけいって出ていってしまった。何に使うのだろう。工作でもするのだろうか。幼児だし。どんぐりをひろって、空き箱を工作して、それから。それはきっと普通の子供の遊びなんだろう。俺にはなかった。いやあったのかもしれないけれど記憶にはない。閣下にもなかったのか。そうしたら同じだな、とぼんやり思った。
秋晴れの空は良く晴れていた。
***
「茨にプレゼント」
あたたかな昼時、閣下は昨日渡した箱を差し出して見せた。
「なんでありますか?」
「開けてみて」
中には綺麗などんぐりがリボンと絵具で装飾されてちょこんとそこにあった。赤に銀。Nagisa to Ibara。クリスマスのオーナメントのようだ。
「どんぐり、煮沸消毒したから虫は出てこないよ」
「ああそれで……」
給湯室の謎が解けた。煮だしてそれから天日干しでもしていたのだろう。
「ありがたきしあわせ! しかしどうして自分なんかにプレゼントを? 今日は何か記念日でありますか?」
「茨にわらってほしかったからかな」
そんなセリフは恋人にでも云って欲しい。乱凪砂に云われて、落ちない人間はいないだろう。
「あっはっは☆ ご命令とあれば自分はいつでもわらいますよ!」
「うーん、そういうのじゃなくて」
閣下は困った顔をして笑った。その顔も抜群に良い。
「これをデスクに飾ってもらって、……そうしたら、思い出すでしょう、私のこと。好きになってもらえたら嬉しいなって。茨にはもっと好きなものをたくさん持ってほしい」
「え? 自分は閣下のこと好きでありますよ」
「……うん、そういうのじゃなくて……」
閣下は何か考えて、また俺の頭を撫でた。多分機嫌はいいんだろうけれど、云い淀むくちは何かを探していた。
「今日はなんでもない日だけれど、なんでもない日だから特別になれるよ」
「哲学的でありますな? 閣下が仰られればこの七種茨、凡庸な日常も特別な記念日に変えましょう! サラダ記念日ならぬどんぐり記念とでも……」
「……じゃあ、特別にしていい?」
「え?」
閣下は俺の両手を握って、その太陽の目で俺を射抜いた。
「私、」
まるでタガが外れて放たれたような、熱がそこにあった。
「私は茨のことが好き。もっと触れあいたい。抱きしめて、それから……食べてしまいたいの。恋人みたいなこともしたい。茨に同じように好きになって欲しい。でも……そういったら茨は仕事として実行してしまうでしょう? そうじゃないから……。私が茨のことを好きだって云うことだけを、知ってほしかった。幸せになって欲しい。茨を幸せにしたい……むずかしいね、茨のほんとうのこころのまま、選んでほしくて」
「……えっと」
「ごめんね、困らせたくはなかった。私がずっと抱えていればよかったことなのに。茨のなかに少しでも私がいればいいなって。だからこれは茨の傍にずっといたいっていう、プレゼント。秋になって、冬になって、どんぐりやオーナメントを見たら思い出してほしくて」
困った顔をさせたくはなかった。多分自分が困らせている。
「好き、なんですか、……自分なんかにはそんな好意、勿体無いです、と、いうか、……えっと、何かの間違いでは?」
「ううん、間違いじゃないよ。君が好き、愛しているの」
(それはきっと、幼児が母親に云うような、好きだ)
(愛)
(愛ってなんだ。そんなの知らない)
望まれることに応えるのは簡単だった。だけれど、多分それではいけなかった。
「閣下、あの……」
なんて答えても、閣下のお気に召す返答にはならない。
「ごめんね……、忘れて」
閣下は苦しそうに笑って、ぎゅうと手を握りしめてから、離れた。
***
デスクに置いた閣下のどんぐりを眺める。無価値だったものに価値をもたらされる。そんな安っぽい意味付けに、絆されてしまっている自分がいて驚く。
そのプレゼントに、閣下の気持ちが入っている。
閣下の気持ちが形になって、鎮座している。
(俺は悪人で、俺みたいなやつを好きになる人なんかいないのに)
他人の感情を類推してそれにうまく入り込むことはたやすかった。
けれど、自分の感情はなんだ、と聞かれても、上手く答えられない。
人を好きになったことはなかった。他人は駒で、使えるか使えないかでしかとらえていない。
閣下は使える。俺の最終兵器だし。だから好きだ。
でも多分閣下の云う好きと俺の好きは違うんだと思う。
共益関係で十分なのに。多分きっと、閣下は無償の愛だとか、慈善の愛だとか、そういう綺麗であたたかなものをいっている。
それがわからない。
俺も好きですよ、同じですよ、と云ってしまおうか。それで恋愛ごっこに応えてあげればいい。答えない事によるストレスの蓄積はどのくらいだろう。閣下のパフォーマンスを落としたくはなかった。
自分の心を正しく把握している人間は、どれくらいいるのだろう。
思えば自分の感情に向き合ったことはあまりなかった。目的の為なら白を黒ということもいとわなかった、感情なんかに振り回されるのは嫌だった。
そんなことをしているうちに、ほんとうの感情なんか見つからなくなってしまった、と思う。
ほんとうのこころのまま、選んでほしくて、――と閣下は云った。
(好きになれって、命令された方が、よかったなあ……)
ぼんやりとしながらキーボードを打錠していく。かたかたと自動的に思考が形になっていく。
心もこうやって、出力されれば確かめられるのに。
自分のことさえわからないことに気が付いてしまって、途方に暮れてしまう。
どんぐりがひかる。無能になんかなりたくはなかった。
***
共有スペースでミーティングをして、殿下がお茶を所望されたから、ジュンとキッチンに立っていた。閣下と殿下はソファに座って楽し気に会話をしている。
閣下とは、何事も無く、以前と同じように日々が過ぎていった。
閣下は殿下が一番好きだと思っていた。だってそうだ。一緒にいた時間は長いし、あんなにも仲が良い。
殿下に向かってやわらかくわらう閣下を見て、喉が渇いた。
「茨ってナギ先輩のこと、好きですよねぇ」
「は?」
「いつも見てますもんね。気が付いてないんですか?」
ジュンが茶葉を煮出しながらそう云った。
「そんなこと、無いと思いますけど」
「茨にも無自覚があるんすね、かわいい」
「かわいいっていうな」
小鍋からティーポットに、煮出した茶葉を注ぐ。そうして俺はティーカップにお湯を注いで温めた。
「じゃあ茨はナギ先輩が誰かと恋愛するの、受け入れられますか?」
「え?」
誰かと恋愛。閣下が誰かに恋をする。この間みたいに、タガが外れて放たれたような、熱を誰かに向ける。それはきっといいことだ。スキャンダルにならなければ……。そこまで考えて胸がぐるぐるしていることに気が付いた。くるしくて、息が浅くなる。
「寂しく思うんなら、それは、特別に好きってことですよぉ」
さびしい。これが寂しいという感情なら。
「……ジュンはそういう風に感じましたか」
「え? ああ。そうですね。きっとそう感じたから告白したんですよ、オレ」
そう云いながらジュンは殿下を優しい目で見つめていた。
そんな些細な感情でいいのか。
こんなちいさな動きでいいのか。
愛すると云うものはもっと大きくて暴力的に狂わせるものだと思っていたのだけれど。
「茨もくちにだしてみたらどうですかねぇ。上っ面じゃなくて、なんというか、感情的に」
「……検討します」
ロイヤルミルクティーを注いで、トレーに載せる。
「準備できましたよ、殿下、閣下」
きらきらとひかる紅茶が揺れて、まるで心の動きみたいだった。
***
冬の海風は冷たくて、明度の低い水平線は曇天を押し上げていた。閣下は海に行ったというので、以前も佇んでいた砂浜を踏みしめる。遠くに銀の髪が揺れていた。それが一枚の絵画のようで、息をのんだ。
あの人の中に自分がある、その告白に応えなければいけない。
だって気が付いてしまった、感情のかけらを見つけてしまった。――これが、そう、なら。
歩いていって、砂浜の漂流物を踏みしめながら近づく。無価値なもの。それに価値を与えるのはいつだって人間の感情だった。
「……」
自分に似た、よくできた貝殻を拾って砂を掃う。それが答えだった。
「閣下」
「……やっほう茨。もう時間かな」
こちらをむく閣下の太陽に、胸が苦しくなった。
「閣下に、贈り物であります」
そっと貝殻を差し出した。閣下は何も云わないで、大きい手でそれを受け取ってくれた。
「夏になって、貝殻や海を見たら、きっとこの気持ちを、また思い出すように……」
「……ありがとう、茨。……ねえこれって……」
リフレイン。
ざんざんと漣は鳴って、海汀を書き換えていく。
「閣下みたいに、熱烈に、好きだっていう感情はないんですけれど……、多分、俺は、……、選ぶとしたら、閣下を選びます」
顔を上げたら、その色に捉えられる。世界が止まって、そうしてひかりが満ちていく。
「これが、閣下と同じ好きっていう感情かどうかは、解らないんですが……、なにぶん、恋をしたことがなくて……こんなに、簡単で、軽くて、いいんでしょうか……」
「……嬉しい」
「わ」
抱き寄せられて、触れた部位が熱かった。上手く息ができない。
感情がきっと、おいついていなかった。
「沢山、自覚させてあげる。もっともっと、好きが大きくなるように。私はアイドル、愛されるためにいるのだから」
「……お手柔らかにお願いします……」
簡単で軽い貝殻は今、閣下の手のひらにあって、それにはきっと価値がついていた。プレゼントする。プレゼントされた。たぶんきっと、今日から始まる。
ほんとうのこころが、育っていく。壊さないように、俺はそっと息を吐いた。
(fin)