「茨、これを」
そう言って凪砂から渡されたスカイブルーの上品な小さい箱。所謂、結婚を誓い合った仲の男が女に送る特別な箱。場所は夜景の見える高級ホテルの最上階にあるレストラン。――そして今日はスカイブルーを突き出された男、七種茨の18歳の誕生日。……ゴテゴテである。それもゴテゴテの中でもトップオブ、ゴテゴテだ。
この冗談みたいな状況に、やっぱりなんの冗談だと、茨は内心深くため息をつき、呆れ果てた。
「なんの……」
冗談でしょう。その言葉は飲み込んだ。何故って?今ならまだ間に合うからだ。茨がその存在を“それだ”と認識しなければ凪砂も後戻りができるから。誕生日が終わる深夜零時までに受け取らず、あわよくばこの美しい彫刻のような男の目を覚まさせる。それこそが、この七種茨に課せられたミッションだ。
現在の時刻は、21時15分。程よく良い空気になる最悪の時刻。――さて、どうやって切り抜けよう。
まずは現在の状況の整理だ。今日は午前の部と午後の部に分けてファンに向けたアイドル七種茨の誕生日イベントを行った。結果は大盛況。当たり前だ。なにせ、“あの”プロデューサーの企画に茨の添削が入った内容。最強だ。滞りなくすべてのプログラムで盛り上がり、アンコールを行い、多くの祝いの言葉を受けた。そして、その後はコズプロでイベントの空気そのままに簡単なパーティーをした。主催は巴日和。逃げられるわけがなかった。その宴は19時ごろまで続き、後片付けをしようとしたら閣下、こと乱凪砂に拉致られここへ来た。
「お疲れ様。今日は忙しくてあまり食べてないでしょう」
そう云う凪砂についていけば、動きに無駄のないボーイに二人掛けの席に案内され、あれよあれよという間に高級なフルコースが運ばれた。流石に「お金はどうしたんだ」なんて聞かなかったが、最初はどうしてこの男と高い料理を食べて、「美味しいね。茨は?」「やや、美味でありますなぁ!」などと、生産性のないやり取りをしているだろうかと疑問ばかりが募った。美味しいご飯が食べたいなら作ったし、外食がしたいのなら言ってくれれば準備したのに……。や、なんでもない。そんなことはどうだっていい。料理は旨いし凪砂の機嫌もいい。良いことじゃないか。うんうん。そうだ、閣下が好む食材も分かるかもしれないと、前向きに凪砂との食事を楽しんでいた。そんな時に凪砂が変なことを云いだした。
「茨は、こうゆうとこよく来る?」
「? いえ。来ませんね」
「ほんと?茨を気に入っているあの男の人…プロデューサーだっけ?来てない?」
「……? はい。来てないというか、お互い忙しいですし立ち話をする程度ですね」
「そっか、よかった。じゃあ私と来るので初めてだね」
なんだその言い方は。茨はちょっとムッとした。例のプロデューサーと仲良くしてるのは今後の為だし、もっと言えばEdenの為だし、さらに言えば凪砂が出たがってた番組のために仲良くしたのがきっかけだ。てっきり、いつもみたいに「頑張ってるね」なんて言ってくれるのかとは思わないけど、まるで仲良くしているのが悪い事みたいに言われて結構ムッとしたのだ。
それからちょっとだけ、空気が悪くなった。いや、凪砂に変わりはなかった。問題は茨だ。けど、どうしてこんなにモヤモヤするんだ?凪砂が茨の思うようなことを言わないなど、いつものことじゃないか。ふん、べつに拗ねてなんかない。そんなガキじゃない。……ガキじゃ、ない…。
と、いったところで茨も少し冷静になり、ふと壁一面の窓の外を見れば、人工的なネオンの海が輝く美しい夜景。とてもじゃないが、安いはずのない料理。きっとジュンなら聞いて卒倒するような値段だろう。凪砂は何も言わないが、お金を貯めてこっそり調べて予約して……そんな面倒なことを誰のためにって、きっと俺の為。そこまで思い至って、あの凪砂がそこまでしてくれたのにブスくれて食べるなんで最悪だと、食後のデセールを待っているときに、次のように凪砂に言った。
「閣下。今日はありがとうございます」
「ん? 私はなにかしたかな」
「なにって、こんな美味しい料理、さすがになかなか食べれません」
「茨のご飯のほうが美味しいよ」
「御冗談を」
「それに、この世に生を受け、私を見つけ、ここまで導いてくれた。お礼にすらならない」
「……」
「今日はね、渡したいものがあるんだ」
そう云って、スカイブルーの上品な箱を取り出し、こう続けた。
「茨、これを」
――冒頭に戻る。
茨は一瞬固まった後、先程までの感謝の気持ちやむず痒い空気をすっかり忘れ、よく回る口だといつかにお貴族様に言われたその口を、ふんだんに回した。
「やや!閣下。あれがきました!あれです!焦げたプリン!」
「……クリームブリュレ……茨が好きかなって。ここ、美味しいって日和くんが」
茨としては良いタイミングで運ばれたデカい皿にちんまり乗った白い器。周りにはなんのソースか分からないが3色お洒落に塗り付けてあり、季節の高そうな瑞々しい果実となんだかわからない菓子達がこれまたお洒落にブリュレの周囲を着飾っていた。茨は、ひきつる顔をそのままに、掬って口に入れる。流石は日和のオススメ。心ここにあらずな茨にも、間違いなく人生で食べたカスタード類の中で一番美味しいと云ってよい味だった。だから一気に食べてしまいたかったが、これまたこんなにゆっくり食べたのは人生初ではないかというくらい、ゆっくりゆっくり食べた。叶うなら零時になるまでこの免罪符を手放したくない。そう思いながら食べた。
時刻は、21時45分。まあ、ブリュレ一つでそんなに時間が取れるわけもない。よくやったほうだ。己を称えたい。うんうん。さあ、もうそろそろ22時。高校生は帰らなくてはいけない。高校生アイドルが22時以降に出歩いてるなんて、ゴシップの良い餌食。ささ、帰りましょ!茨はそう云って凪砂を促すが、彼が一言。
「今日はこの下の部屋を予約してるんだ。ゆっくりで大丈夫だよ」
なんて言ってきやがった。
(……はあ?くそっ!殿下の入れ知恵か?ふざけやがって!)
茨は、内心切れ散らかしそうになったがまだ大丈夫。零時まであと約2時間、どうにかしてその箱の中身にあるであろう、愛を象った重たい足枷の入ったその中身。それを受け取らなければいい。だってそうだろう。――恋人の次って、そうゆうことだろ?――
そう、乱凪砂と七種茨はいわゆる交際というものをしていた。だからこそ誕生日にこんなレストランに連れてこられたって不自然ではないし、プロデューサーに嫉妬したって当然だし、ホテルに泊まろうとなっても変ではない。そして、18歳の誕生日に指輪を貰ったって、不思議なことではないのだ。
だから、その箱を開けるのは怖かった。恐ろしかった。……永遠に、彼を縛り付けてしまいそうで。
「茨、お誕生日おめでとう」
言うな。聞きたくない。
「ずっと、茨に渡したかったんだ」
そう云って、ついに開かれたスカイブルーの小さな箱。そこにあったのは……、
「……石?」
「これはね、ターコイズ。石言葉は『目標の達成』。天の神が宿る石で、幸福と成功をもたらしてくれる。茨にピッタリだなって、ずっと思ってた」
「あ、えっと、はあ……ありがとうございます?」
そうだ。以前にメアリ嬢の散歩をした際にそんなことを云われた。あの時は軽く流して忘れていた。
茨はどっと力が抜け、ふかふかの椅子に身を沈めた。そんな恋人の様子に、凪砂はクスリとひとつ笑った後、彼に囁く。
「ごめんね。期待させちゃった?」
「いえ!そんな!」
凪砂は茨の左手を引き寄せ、薬指の付け根にキスを落とす。
「こっちはね、茨の目標が叶ったら、なにがあっても奪いに行くよ」
「……」
「たとえ何歳になっても。ね?素敵でしょ?それとも、茨が目標を叶える日は来ないのかな?」
「……いいえ。それこそなにがあっても叶えてみせましょう。あの日、貴方に誓った通りに」
「うん、それでこそ茨だね。可愛いかわいい、私の茨」
そして時刻は22時0分。天使のささやく時間に、恋人と手を繋ぐ。
「茨、ハッピーバースディ。永遠に愛してるよ」