「……茨、誕生日当日の予定、教えて貰えないかな?」
事務所のスタッフブログをタブレットで確認していた茨は凪砂の問いかけに顔を上げ、少し間をおいてから首を傾げる。
「誕生日……?」
「……自分の誕生日、忘れちゃった?」
「あぁ! 確認しますので、少々お待ち下さい……日中はESの共通行事として、バースデーイベント。夜は会食の招待が二つほど、ですね」
「……招待? 出席にしていないの?」
茨は基本、予定は保留にせず早い段階で決めている。既に決まっている予定を言われると思っていた凪砂はぱちくりと瞬きをし、戸惑いを露わにする。決めずに保留にしているなんて、茨にしては珍しい。
「何ですか……、その顔。出席する、で伝えると、後から断るのが大変ですし面倒なので……」
「……つまり、何かあるかもしれないと想定して、予定が入れられるようにしていた、と?」
「そういう事ですね。例えば……、今みたいなのがいい例かと」
いつも物事をはっきりと伝えるのが常な茨が、言葉をぼかしたり濁したりするのは大変わかりやすい。凪砂がそれに気付いたのは比較的最近で、暫く茨を観察していて発見したのが、そもそもそんな喋り方を『凪砂相手にしかしていない』という事だった。
自分だけ特別、というのを実感するのと共にその言葉の裏に隠された意図を拾い上げる必要があるが、これがなかなか上手くいかない。凪砂が気付けなかった時もあれば、言い当てられて恥ずかしくなった茨が有耶無耶にしてしまった事もある。
「…………十四日の夜は、私のために時間、空けておいてくれる?」
「閣下のお望みとあらば、喜んで」
ふわりと微笑んだ茨に、凪砂もほっと一息をつく。どうやら、見当違いな問いにはならなかったらしい。楽しみにしててね、と同じように凪砂も茨に笑みを返した。
ともあれ、時間を貰ったはいいものの、何をしてあげればいいのか……、凪砂は迷っていた。
そもそもの前提の話として、茨も凪砂と同じで本当に生まれた日を知らない。誰かから贈られたものかもしれない。偶然、たまたま拾われた日かもしれない。「そんな日を祝福するのも変ですよね」と、乾いた笑いを浮かべながら去年の誕生日イベントで話していたのを思い出す。
それなら、物として残るのはあまり好ましい事ではないのかもしれない。
「……うーん。だからといって、茨のやっている何かをしてあげるのは、前にものすごく怒られてしまったから、その案は、却下」
…………
……
…
「で、当日に至るという訳ですか」
「……うん」
「まぁ、サプライズで何かされる、というよりは……何もせず閣下と同じ時間を過ごす、というのは悪くないと思いますけどね」
バースデーイベントの片付けも終え、副所長室の応接用のソファーに深く腰を掛けて、SNSで今日のイベントの反応をタブレットで眺めながら左隣に座る凪砂にぽすん、と茨はもたれ掛かる。
「……どうしたの、茨。いつもより触れてくるけど、人恋しかった? 昼間、あんなにも沢山の人に囲まれて、お祝いされたりしたから」
「ん――、そうかもしれません。けど、そうでもないかもしれません……」
煮え切らない返事をしながら、茨はタブレットをローテーブルに置き、自由になった両手のうち、右手の人差し指でくるくると凪砂の髪を緩く絡めながら、擦り寄ってくる。甘え方のわからない、不器用な猫みたい。
「……茨、おいで」
両手を広げて手招くと、茨は天井を見て、床を見て、右側を見て、先ほど置いたタブレットのあるテーブルを見て、たっぷり三十秒ほど使ってから口を開く。
「……………………はい」
「結構、迷ったね」
「なんか、こう、その、ちょっと……今も返事はしたものの、どうしようかと……迷っているんです、が」
「どうしたらいいのか、分からない?」
「です、ね……」
「ん――。じゃあ、茨の中でスキンシップしてくるなーって人がやっていることを真似してみたらどうかな?」
暫しの沈黙の後、茨の耳が朱に染まる。視線が彷徨い、頭を横に振る。
「い、や……無理、ですって! あ、あ、あんな破廉恥な――「誰?」
茨の言葉を呑み込むかのように言葉を被せてくる凪砂に、纏う雰囲気が変わったと気付いた。ぞわりと茨の背筋が震える。
「あの、閣下……」
「茨にそんな触り方してくる奴は、誰?」
「や、ちょ……、かっ、か」
「ねぇ茨、答えて」
「あの、だか……ら」
「……答えろって言ってるんだ。グズグズしてないで、さっさと答えろッ!」
肩を掴み、揺さぶられる。あまりの剣幕に息が詰まる。声が出ない。こんな時に俺様モードとか使わないで欲しい。怖い、こわい、こわ……い、けど、背筋の震えは恐怖だけではなく、甘やかな痺れも伴い、茨は己の身体の浅ましさに呆れてしまう。
「あっ、ごめ……ん」
「や、はは……。大丈夫、です。その……誰という質問の答え、ですが……」
茨の右手が持ち上がり、人差し指が凪砂を指す。あんなやり取りがあった後なので、ちょっと言葉にするのが恥ずかしい。
「もしかして、わ……たし……?」
「…………はい」
互いに何も言えない、気まずい雰囲気が流れるのを断ち切るように茨が声を上げる。
「あ、の! すみません、閣下……。その、自分が思い出した瞬間が悪かっただけで……」
「スキンシップ……互いの体や肌の一部を触れ合わせることにより、親密感や帰属感を高め、一体感を共有しあう行為。……確かに、私は茨と触れ合ってそのままベッドに連れて行くことの方が多かった、かも、しれない」
「反省している雰囲気醸し出している所悪いですが、手の位置、手の位置を改めてください、閣下」
残念、と呟きながら腰に絡んでいた凪砂の手が名残惜しそうに離れ、身体も離れてゆく。茨はふう、と安堵の息を吐き出し、同時に離れていった熱に寂しさを覚える。
理屈を並べたところで、この感情は収まらないし、我慢すればするほど焦がれるものなのはとっくに分かっている。諦めにも似た笑みを浮かべ、茨は膝を抱えて丸くなって少々拗ねた態度の凪砂に声を掛ける。ぱちぱちと瞬きを繰り返し、茨の言葉をオウム返しのように繰り返す。
「……ひざ、まくら?」
「何度も言わせないで下さい。ほら、足を下ろして、失礼します」
ぐいぐいと凪砂の足を押しのけ、太腿に頭を預けてくる赤紫が愛おしくなって、そっと髪を梳く。特に嫌がる素振りもないので、ゆっくり、ゆっくり、何度も往復していると、茨の体が規則的に上下に動いているのに気付く。
「……寝ちゃった?」
その問に返事は無い。
お疲れ様、茨。生まれてきてくれて、ありがとう。私と出会ってくれて、ありがとう。私と共に歩んでくれて、ありがとう。
あどけない寝顔を浮かべる茨の頬を撫で、凪砂もゆっくりと瞼を下ろした。