【A3】涙の重さ、三百グラム。

概要:後始末をする七種茨の話です。
諸注意:乱凪砂が死にます。


 そういうモノがあることを、知識としては知っていた。
「……ねえ、茨。三百グラムってどれぐらいだろう」
「三百グラムですか? そうですね……、市販の板チョコが一枚五十グラムなので、六枚で三百グラムですよ」
「……ありがとう。参考にするよ」
 でもこの会話から『それ』を察するのは、流石に無理だと思いませんか。

【涙の重さ、三百グラム。】

 乱凪砂が死んだ。
 昨夜、いつもと同じようにお疲れ様ですおやすみなさいまた明日と別れた彼は、翌朝ベッドの上で冷たくなっているところを、部屋を訪ねた巴日和によって発見された。そして今、こうして駆けつけてきた俺の目の前にある。
 奇麗な死に顔だった。眠って、そのまま死んだみたいな。俺が知っている死体とはあまりにも違っていて、きっと世間一般とは別の意味で現実味がない。
「凪砂くん、どうして……?」
 殿下が呟く。それは恐らく、この場にいる誰もが思っていることだった。自然死である可能性はまだ皆無ではないが、それにしてはこの部屋は片付きすぎている。こんなにきちんと整えておけるなら、日頃から整頓しておいてくれればよかったのに。もう言っても詮無いことだけれど。
「茨」
 震える声でジュンが呼ぶ。その指差す先、ヘッドボードに置かれた時計の下に、一通の封筒が敷かれていた。引き抜いて検める。表書きはない。今となっては懐かしい、乱凪砂カラーの初代Edenロゴステッカーで飾り封がしてあって、封筒の口はガチガチに糊付けされていた。
「これってもしかして、その……遺書ってヤツなんじゃ」
 ジュンの言葉で手の中の封筒がずっしりと重みを増す。そういえば素手で触ってしまった。この封筒に限らず、部屋の物には何も触らずにいたほうが良かっただろうけど、もう遅い。
「……開けますよ」
 じっとお互いの顔を見交わす。殿下もジュンも顔をこわばらせて、何も言わない。デスクのペン立てから鋏を拝借する。
 封を、切った。
「……」
 遺書だった。乱凪砂の、遺書。頭が痺れるような、昏むような気持ちで目を通す。そこには諦観の念も謝罪の言葉もなかった。ただ淡々と、彼の生を始末するための指示だけが細ごまと書いてある。これがもしメールで届いていたら、異動か退職になる職員が寄越した引継の指示書かと思っただろう。
 遺書としてはあまりに乾いたそれは、しかし引継の指示書としては概ね完璧だった。ご丁寧にも既に関係各所に話を通してあると書き添えられていて、俺はそんなこと何も聞いてないと喚きそうになる。仕事が調整されていることなんか知らないし、勿論何ひとつ聞かされていない。そもそも閣下の仕事は俺が管理しているのにそんなことが可能なのか? 試しに今日予定されていた筈の現場の一つに連絡をとってみると、本当に「その件でしたら先日乱さんから……」と言われてしまった。訳がわからない。
 何よりも訳がわからなかったのは、【形見分け】という項目にあった一節だ。蒐集物コレクションを殿下に、蔵書コレクションをジュンに譲ると書いたそのあと。
『七種茨に、遺骨の全てを譲渡する。』
 遺骨。遺骨をどうしろというんだ。まさか曽祖父と同じ墓に埋葬しろとでも? 閣下なら言いかねないところが恐ろしい。しかし、もはや遺書かどうかも疑わしいそれを一番最後まで読み終えても、この件についてこれ以上の説明はない。
 片付き過ぎているほど片付けられた部屋。ベッドで眠っている閣下の口許がほんの少しだけ笑ったような気がして、手紙を握り潰してしまいそうだった。

 もしこれがバラエティ番組だったら、このあたりで閣下がむっくりと起き上がり、同時に『ドッキリ大成功!』と書かれたボードを掲げた葵兄弟あたりが賑やかに乱入してきたのだろう。だが何度検めても閣下はやっぱり死んでいて、俺たちの周囲はたちまち上を下への大騒ぎになった。
 真っ先に依頼した検死の結果判明した乱凪砂の死因は、驚くべきことに『原因不明の急性心不全』だった。突然死、頓死、言い方は色々あるが、要するにいきなりぽっくり逝っちまったということである。そんなことあるか? しかし、何らかの外的要因の干渉や薬物等を使用した形跡などは、どこをいくら調べても全く検出されなかったという。異口同音に信じられないと言い募る俺たち関係者に、医師は実にすまなそうに頭を下げた。
 死因の他にも色々と解せないことがある。例の『引継書』だってそうだ。あれの末尾には日付入りの署名がされていて、その日付は彼と最後に言葉をかわしたあの日のものだった。ということは、彼はあの日あの夜に自らの心臓が活動停止することを予め知っていたことになる。様ざまに人間離れしていた閣下とて、そういう類の千里眼を持っていたとは流石に考えづらい。悪魔と取引でもしたとしか思えなかった。或いは、神のようなものと。
 さて、乱凪砂の葬儀は『引継書』に指示されていた通り、関係者だけでひっそりと執り行われた。誰もが困惑し動揺するなかで、遺影の閣下の佇まいは堂々として美しい。献花の手が震えそうになるのを意地で抑えて、死化粧をほどこされた顔を覗き込む。完璧に調った顔だちが、今は何となく弛緩したように見えた。スピーカーからはTHE GENESISのオルゴールアレンジが流れていて、それはそんな、眠たくなるようなかわいらしい音で奏でていい曲じゃない。
「あんたのせいでご覧の通り大混乱ですよ。どうしてくれるんですか」
 応える声はない。当たり前だ。席に戻ると、堪えきれなくなったのだろう、ジュンが洟をすすっていた。その隣に座っている殿下は、凛と背筋を伸ばして閣下の遺影をまっすぐに見据えている。そういえばこの騒動が始まってからの殿下は、別人のように冷静だ。もっと取り乱して泣いたりして使い物にならなくなるかと思っていたのだが、そんな様子は見受けられない。彼の矜持がそうさせているのだろうか。俺にそれを推し量ることはできないが、感情の窺えない横顔はよく磨かれた貴石のように硬質で美しかった。

 葬儀から数日おいて、マスコミやファン向けた正式な発表と『お別れの会』を催す旨の告知を行った。嵐のように日々が過ぎていく。寝る暇どころか座る暇さえ惜しんで遮二無二働いた。そうしていないとどうにかなってしまいそうだった。
「……疲れた」
 件の『お別れの会』を日中に終えて、深夜。コズプロの副所長室で俺は独りでくたばっていた。何かと理由をつけて居座ろうとするEveの二人を、事後処理を理由に追い出すように帰したのがついさっきのこと。本当はそんなこと明日でも構わない。今はとにかく独りになりたかった。
 視線を動かす。閣下の定位置のようになっていた一角で、一抱えほどもある桐箱が異様な存在感を放っている。Edenのものを筆頭に、ESじゅうのアイドルのロゴステッカーがべたべたと貼られたそれは、恙なく火葬にれた後、『指示』に従って俺の手許に遺された閣下の成れの果てだ。これを抱えて生きろというのか、俺に。……とりあえず、適切な保管方法だけでも調べておくべきだろう。
 休止モードになっていたPCのキーを弾く。検索窓に『遺骨 保管』と打ち込んでエンター。雑に保管していると黴びるらしい。閣下が黴びるのは流石に嫌なので、本腰を入れて調べ始める。高温多湿と直射日光を避け、風通しのいい場所に……そうした情報を流し読むうちに、ふと気になるものを見つけた。
「遺灰ダイヤモンド……」
 これだ。このために閣下はご自身を俺に遺したのだと、天啓のようにそう思った。
 手当たりしだいに調べる。制作に必要な骨量、カットの種類、そして製作期間。ブックマークがどんどん増える。だいたいどこも制作には最低でも三百グラム程度の骨量が必要と書いてあって、いつだったか脈絡もなく「三百グラムってどれぐらいだろう」などと訊かれたことを思い出した。ここにつながるのか。そんなに前から。
「……わかりませんよ、閣下」
 あなたがなにを考えて生きていたのか、結局俺には最期までさっぱりわからなかった。
 調べるうちに、遺骨の全てを使って制作を請け負ってくれるところをみつけた。提携している工房でジュエリーへの仕立てもやってくれるらしい。種類もデザインもある程度融通が利くなら、ここで話を聞いてみるのもいいかもしれない。
 顔を上げると、いつの間にか空が白んでいる。とりあえず朝いちで電話をかけようと決めて、靴を脱いでソファに寝転んだ。ここも、閣下がよく座っていた場所だ。そんなことあるはずがないのに、閣下のにおいがしたような気がした。

「……こうして閣下は、永遠に輝く星になりましたと、さ」
 たった独りの楽屋で呟く。蓋の開いたジュエリーボックスに納まっている指輪には、青みがかったダイヤモンドが燦かがやいている。閣下だ。
 閣下の遺灰で造ったダイヤモンドを受け取ってきたのがつい昨日のこと。奇しくもそれは俺の誕生日の前日で、まるで一足早い誕生日プレゼントのようで……違う。本当はもう少し受取の日取りは選べたが、敢えてこの日にした理由があった。
「さぁ閣下、参りましょうか。約半年ぶりのAdamの舞台へ!」
 今日は俺の誕生日。すっかり恒例となったバースデーイベントは、ファンの皆さんに閣下の新たなお姿をお披露目する最高の舞台だと思いませんか。
 神妙な気持ちで指輪をとって、左手の親指に嵌める。左に嵌めるサムリングには『信念を貫く』という意味があるのだそうだ。突撃、侵略、制覇。そして遥かな高みへ。俺には、俺達にはぴったりだろう。
 楽屋を出て、スタッフが慌ただしく行き交う間を縫ってステージへ向かう。スタンバイまではまだ余裕があるし、ゆっくり歩いて行こう。そう思っていたのに、いつの間にか小走りに廊下を駆けていた。
 早く、早くステージへ上がりたい。あの灼熱するステージライトこそが、宝石あなたを最も輝かせることを知っている。

(終)


ヒント
タイトルや本文作風は普段と近いですか?
→絶対バレる自信があります。
地の文と会話文どちらに力を入れていますか?
→地の文が長くなる病気が治りません。
あなたにとっての凪茨は?
→うまいことやってほしいし、うまいこといってほしいふたりです。つよいオス同士のCPはいいぞ。
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